出雲乃伊波比神社 (寄居町)とは? わかりやすく解説

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出雲乃伊波比神社 (寄居町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 04:45 UTC 版)

出雲乃伊波比神社
所在地 埼玉県大里郡寄居町赤浜723
位置 北緯36度06分44.7秒 東経139度14分32.0秒 / 北緯36.112417度 東経139.242222度 / 36.112417; 139.242222 (出雲乃伊波比神社 (寄居町))座標: 北緯36度06分44.7秒 東経139度14分32.0秒 / 北緯36.112417度 東経139.242222度 / 36.112417; 139.242222 (出雲乃伊波比神社 (寄居町))
主祭神 須佐之男命
社格 (論)式内社
旧郷社
創建 不詳
本殿の様式 入母屋造
別名 八幡社
例祭 10月19日
地図
出雲乃伊波比神社
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出雲乃伊波比神社(いずものいわいじんじゃ)は、埼玉県大里郡寄居町赤浜の荒川沿いにある神社。祭神は須佐之男命武蔵国男衾郡式内小社出雲乃伊波比神社」の論社の1つで、旧社格は郷社。

由緒

古くは川本村畠山に鎮座していた。火災や水害で古記が紛失したため、創建年代は不詳である。天喜年間(1052年 - 1057年)の前九年の役の際、源頼義陸奥国へ向かう途中で戦勝祈願のために同社へ参拝し、白旗を献上したことをきっかけに「白籏八幡社」と改称された。

弘治3年(1557年)には「八幡塚」と呼ばれる赤浜村下河内に移転し、さらに天正8年(1580年)に荒川の大洪水により、住民と共に現在の鎮座地に移転した。

明治に入り、創建当初の社名の「出雲乃伊波比神社」に改称された。 [1]

祭神

社格

  • 明治4年(1871年)11月 - 村社
  • 明治32年(1899年)6月24日 - 郷社

境内社

摂社

  • 八坂社 -(主祭神)須佐之男命
  • 妙見社 -(主祭神)八意思兼命

末社

  • 石宮八坂社
  • 山神社
  • 浅間大神 - 万延元年に勧請
  • 天照皇大神 - 明治3年10月9日常楽寺より移転
  • 榛名社
  • 蚕影大神、三峰大神、古峰大神、天満社、愛宕大神、白山大神、伊奈利社

祭事

  • 歳旦祭(1月1日)
  • 節分祭(2月3日)
  • 祈年祭・愛宕祭(2月23日)
  • 入学児童祈願祭(3月下旬)
  • 末社八坂社祭(7月中旬の日曜日)
  • 大祭(10月19日)
  • 新嘗祭・愛宕祭(10月23日)
  • 大抜祭(12月31日)

境内

交通

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 社頭掲示板より(平成29年2019年7月吉日)

関連項目




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