内藤隆貞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 15:43 UTC 版)
|
|
---|---|
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 天文16年12月24日(1548年2月3日) |
別名 | 通称:弥六 |
主君 | 大内義隆 |
氏族 | 藤原北家秀郷流内藤氏 |
父母 | 父:内藤興盛、母:内藤弘矩の娘 |
兄弟 | 隆時、正朝、隆貞、問田殿(大内義隆側室)、女(宍戸元秀室)、弥二郎、尾崎局(毛利隆元正室)、隆春、女(和智元郷室)、女(出羽元祐室)、山内元興、元種 |
内藤 隆貞(ないとう たかさだ)は、戦国時代の武将。大内氏家臣。父は内藤興盛。母は内藤弘矩の娘。通称は弥六。
生涯
長門国守護代を務める大内氏重臣・内藤興盛の三男として生まれる[1]。大内義隆に仕えて「隆」の偏諱を与えられ、「隆貞」と名乗った。
天文7年(1538年)6月12日、大内義隆の使者として、当時人質として周防国山口に滞在していた毛利隆元に海月1折を贈っている[2][3]。
天文16年(1547年)12月24日に死去[1]。内藤氏の系譜に隆貞の妻子は記されておらず、後継についても不明である[1]。
系譜
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 188.
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 90.
- ^ 『毛利家文書』第397号、「毛利隆元山口滞留日記」天文7年6月12日条。
参考文献
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-2 毛利家文書之二』東京帝国大学、1922年2月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。
OCLC 703821998。全国書誌番号:
73004060。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修、野村晋域著『毛利元就卿伝』マツノ書店、1984年11月。
- 内藤隆貞のページへのリンク