八瀬村とは? わかりやすく解説

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八瀬 (京都市)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 15:42 UTC 版)

日本 > 近畿地方 > 京都府 > 京都市 > 左京区 > 八瀬 (京都市)
八瀬
やせ
日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
自治体 京都市
行政区 左京区
旧自治体 愛宕郡八瀬村
世帯数
829世帯
総人口
1,787
隣接地区 京都市左京区岩倉地区・上高野地区・修学院地区・大原地区滋賀県大津市
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八瀬(やせ)は、京都府京都市左京区にある地名[1]。ここでは「八瀬」を町名に冠する京都市左京区の各町を包括する広域地名として用いる。

東に比叡山地、西に若丹山地に挟まれた渓谷に位置する。南北に八瀬川(高野川)が流れ、八瀬川に沿って敦賀街道が通る。名産品に柴漬がある[1]

地名の由来

村伝によると、古来より八瀬は「矢脊」と称し、壬申の乱の折、この地で天武天皇が背中に矢傷を負ったという故事に由来するといわれている[2]が、歴史学的な見地から否定されている。また八瀬川には七瀬・余瀬・美濃瀬など急な「」が多く、「=たくさんの」瀬と称したともいわれる[要出典]

延喜年中(901年 - 923年)より「八瀬」表記に改められた[3]。 村伝によると、古来より八瀬は「矢脊」と称し、壬申の乱の折、この地で天武天皇が背中に矢傷を負ったという故事に由来する[注 1]といわれているが、歴史学的な見地から否定されている。また、七瀬・余瀬・美濃瀬など、八瀬川には急な「」が多いことから「=たくさんの」瀬と称したともいわれる。延喜年中(901年 - 923年)より「八瀬」表記に改められた[1]

八瀬童子

交通

道路

国道367号線敦賀街道

鉄道

バス

参考文献

脚注の典拠。

  • 地図と位置「八瀬村」(『京都府愛宕郡村志』 1911, p. 3, コマ番号:0003–)
  • 「修学院村志」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:45–)岩倉村松ケ崎村と界せり、北は高野川に沿ひ谷間に入り八瀨村と接し東は叡山を以て滋賀縣近江國滋賀郡阪本村と界し(後略)
  • 「修学院村志 §道路:敦賀街道、岩倉街道」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:46)本村(修学院村)の南田中村界より北上し八瀨村界に至る延長三十町廣二間餘古來の本道にして今縣道と定む(後略)
  • 「岩倉村志 §区域」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:153–)本郡の中央に位し東は山嶺を以て大原八瀨村に界し西北は山嶺疊層其分水嶺を以て靜市野村に界し西南は愛宕郡志岩倉村花園(後略)
  • 八瀨尋常小學校、巡査駐在所、八瀨村役場」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:177–)
  • 「御所谷碑」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:179–)山城國愛宕郡八瀨御所谷、有山王祠、與氏神社相距二町餘、而爲其攝社、後醍醐天皇延元元年(後略)
  • 「後醍醐天皇」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:180–)八瀨村人の駕與丁に役し且朝廷に緣故ある事
  • 「山門結界訴訟〓秋元神社」、(『京都府愛宕郡村志』 1911, p. 350-352, コマ番号:181–182)
    寳永五年九月十日、所司代板倉勝重より裁許狀を下附し八瀨村の勝訴となれり(中略)寳永五年十二月五日「山門結界訴訟〓秋元神社」(中略)女人牛馬出入之儀(略)右今度相改、注繪圖黑白之筋引之、爲後證山門八瀨村双方え渡之畢、堅可相守者也
    河內印(氏)井上
    加賀印(氏)大久保
    但馬印(氏)土屋。寶永七年七月十二日、是訴願の旨を達し八瀨村一同は生計を立つる事を得る。紀伊(判)河內(列)0加賀(判)0伯耆勞但馬(判)0相模(判)
  • 八瀨童子」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:179, 181–)
  • 八瀨躍の事」(八瀬踊り)(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:187)毎年十月十八日の夜(後略)
  • 「大原村志§山岳 長谷山」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:186)
  • 「大原村志§」(『京都府愛宕郡村志』 1911, コマ番号:187)34銭9厘を要せり山城峠より近江國滋賀郡に入る即ち鶴賀八瀨村の入口小字花尻より三千院分岐に至る
  • 「柴漬け」(コマ番号:192 –)茗荷紫蘇等の混合塩漬(中略)本村及八瀨村に製造するものにして一種の雅味あり(後略)
  • 「「八瀨の山峽」(コマ番号:205)大原は山谷深阻別に一區域を爲し八瀨の山峽其口を擁し所謂武陵桃源の形を成せり(後略)

脚注

  1. ^ 『大和本紀』による。

出典

  1. ^ a b c 『京都府愛宕郡村志』 1911, pp. 174–183
  2. ^ 『京都府愛宕郡村志』 1911, p. 337, コマ番号:174右
  3. ^ 『京都府愛宕郡村志』 1911, p. 337, コマ番号:174右

関連項目

50音順。




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