八代村_(宮崎県)とは? わかりやすく解説

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八代村 (宮崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 15:06 UTC 版)


やつしろむら
八代村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
本庄町八代村国富町
現在の自治体 東諸県郡国富町
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
東諸県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 7,648
国勢調査1955年
隣接自治体 綾町、本庄町、木脇村児湯郡都於郡村・三財村・西米良村
八代村役場
所在地 宮崎県東諸県郡八代村大字八代南俣
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八代村(やつしろそん)は、宮崎県東諸県郡にあった。現在の東諸県郡国富町の一部にあたる。

地理

掃部岳の南東麓、大淀川水系の深年川、三石川、後川の流域に位置していた[1]

歴史

  • 1889年明治22年)5月1日、町村制の施行により、東諸県郡八代南俣村、八代北俣村、伊佐生村、深年村が合併して村制施行し、八代村が発足[1][2]。旧村名を継承した八代南俣、八代北俣、伊佐生、深年の4大字を編成した[1]
  • 1942年(昭和17年)、大刀洗陸軍飛行学校・教育隊設置のため陸軍飛行場が八代北俣から六ツ野原にかけての台地に造成された際、古墳群の調査が実施されたが、造成のために17基の古墳のうち16基が破壊された[1][3][4]
  • 1956年(昭和31年)9月30日、東諸県郡本庄町と合併し、国富町を新設して廃止された[1][2]。合併後、国富町大字八代南俣・八代北俣・伊佐生・深年となる。

地名の由来

中世伊東氏が支配した時、八代城を中心に8つの城があったことにちなむとされるが俗説[1]

産業

教育

  • 八代尋常高等小学校(大字八代南俣)[1]

名所・旧跡

  • 八代村古墳(県指定史跡、大字深年)[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』784-785頁。
  2. ^ a b 『市町村名変遷辞典』810頁。
  3. ^ 国富町ホームページ 大刀洗陸軍飛行学校・教育隊
  4. ^ a b みやざきデジタルミュージアム 八代村古墳

参考文献

関連項目




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