児童本位の立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:09 UTC 版)
「教科書なり教授細目は何のために作ったものでありましょう。「教科書が大切あるか児童が大切であるか」ということは私どもの説明するまでもないことであると存じます。しかるに現在においては児童なるものは教科書の犠牲に供せられているのである。教科書本位であって児童本位とはなっていないのであります」「児童の分かる分からないということはどうでも良い、教科書の要求していることさえ教授すれば、教授者の本分は果たされたのである。児童の出来不出来は顧みる必要がない」と批判した。そして「算術ができない、4学年になっても5学年になってもできない、できない、といっているのは、児童の罪にあらずして、教科書なり教授細目なりを金科玉条とするものの罪だろう」と、廣田は批判している。 さらに廣田は、「たとえ教科書なり教授細目がいかなることを要求していても、できないと認めたからにはその要求に応じる必要はないです。またできすぎることを認めた場合には、どしどし教授すべきです。教科書なり教授細目に盲従するを強いるべきではありません。児童本位であります。児童の持っている尺度が最も正しいものであって、教科書や教授細目を標準とするべきでありません」と子供中心主義を打ち出した。
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