光明皇后説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:23 UTC 版)
『拾遺和歌集』巻20に、 光明皇后山階寺にある仏跡に書きつけ給ひける 三十余り二つの相具へたる昔の人のふめる跡ぞこれ とある。これによれば、歌碑の2番歌に酷似した歌の作者は光明皇后であることを示していることから、この一首により、本歌はすべて光明皇后の作ではないかとの説が生まれた。しかし、久曾神昇は、「『拾遺集』は、光明皇后崩後240余年に成ったもので、信憑性が乏しい。」と述べ、藤原鶴来は、「歌の作者を沢田東江はその著『書話』で光明皇后としているが、にわかに断じ難い。」と述べている。
※この「光明皇后説」の解説は、「仏足跡歌碑」の解説の一部です。
「光明皇后説」を含む「仏足跡歌碑」の記事については、「仏足跡歌碑」の概要を参照ください。
- 光明皇后説のページへのリンク