元帝 (東晋)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 元帝 (東晋)の意味・解説 

元帝 (東晋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 21:24 UTC 版)

元帝(げんてい)は、東晋の初代皇帝。諱は(えい)、字は景文。宣帝司馬懿の第四子の琅邪武王司馬伷でその妻を通じて諸葛誕の外曾孫にあたる。また、母方を通して夏侯淵の外玄孫でもある。


注釈

  1. ^ 食客らの宿舎を管理する下級役人。
  2. ^ 厳密には、当時、琅邪王司馬睿の他にも、南陽王司馬保・西陽王司馬羕・新蔡王司馬滔・楽成王司馬欽・南頓王司馬宗・汝南王司馬祐・彭城王司馬雄・高密王司馬紘・梁王司馬翹・游撃将軍の司馬承ら少なくない数の晋宗室王は健在であり、また晋宗室王の何人かは混乱の中で司馬睿と共に長江を渡り東晋建立に尽力しており(五馬渡江)、東晋の時代も引き続き王室の一角を支えている。
  3. ^ 晋書』元帝本紀が引く「玄石図」という石碑の表面に「馬の後を継ぐのは牛である」という文章が記されていた。そのため曾祖父の司馬懿は牛氏(牛金のこと)を深く恨み、毒酒を飲ませて殺害した、という内容である。さらに、母の夏侯光姫は「小役人の牛氏(牛金とは別人。孫盛『晋陽秋』によれば、名は牛欽)と密通して、東晋の初代皇帝になる司馬睿を生んだ」とされる逸話がある。引き続き『晋書』以前の『魏書』(北魏書)にある「僭晋司馬叡伝」に「司馬睿は夏侯光姫と晋将の牛金が姦通して生まれた子である」という記録が残っているとされるが、時代が合致しない。牛金が司馬懿に毒殺されたことも、元帝が牛氏の血筋を引く確証性は乏しく、元帝自身が牛金の隠し子とする逸話の真偽の程は不明である。

出典

  1. ^ 『晋書』巻6, 元帝紀
  2. ^ 宮崎市定『大唐帝国 中国の中世』〈中公文庫〉1988年、144頁。ISBN 4122015464 


「元帝 (東晋)」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」から元帝 (東晋)を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から元帝 (東晋)を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から元帝 (東晋)を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「元帝 (東晋)」の関連用語

元帝 (東晋)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



元帝 (東晋)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの元帝 (東晋) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS