偶像崇拝とその中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 07:12 UTC 版)
2002年頃から、金正日は後継と見なしていた金正恩の生母である「共和国の敬愛なる母」として偶像化を推進した。高容姫崇拝の高まりと金正哲後継者説の浮上は軌を一にしたものであり、その中心にいたのは李済剛グループであったが、軍内部にはかれらに協力する幹部も存在していた。しかし、父親が大日本帝国陸軍管轄の軍需工場の幹部として働いていたことが朝鮮総連を通じて北朝鮮国内に知れ渡ることが危惧されたため中断されたのだという。ただし、彼女が僑胞(在日)であることの瑕疵を覆い隠すためには、彼女はどうあっても「革命家」「愛国者」でなくてはならない事情があったことも確かである。
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