修性院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 07:16 UTC 版)
| 修性院 | |
|---|---|
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| 所在地 | 東京都荒川区西日暮里3-7-12 | 
| 位置 | 北緯35度43分48.3秒 東経139度45分57.8秒 / 北緯35.730083度 東経139.766056度座標: 北緯35度43分48.3秒 東経139度45分57.8秒 / 北緯35.730083度 東経139.766056度 | 
| 山号 | 運啓山[1] | 
| 宗派 | 日蓮宗 | 
| 寺格 | 素紫寺跡 | 
| 本尊 | 三宝尊(一塔両尊四士形式) | 
| 創建年 | 天正元年(1573年)[1] | 
| 開山 | 修性院日運[1] | 
| 正式名 | 運啓山修性院 | 
| 別称 | 花見寺 | 
| 札所等 | 谷中七福神(布袋尊) | 
| 文化財 | 木造布袋尊像(荒川区指定) 日尾荊山衣幘碑(荒川区登録) 木造一塔両尊仏坐像・付胎内文書(荒川区登録) 木造三十番神坐像(荒川区登録)[2] | 
| 公式サイト | 運啓山修性院 | 
| 法人番号 | 7011505000312 | 
修性院(しゅしょういん)は、東京都荒川区にある日蓮宗の寺院。
概要
1573年(天正元年)に開山した。当時は武蔵国豊島郡田中村(現・東京都台東区)に位置していたが、幕府の施政上の理由から元禄年間(1668年~1704年)に現在地に移転したと伝えられている。寺領3000坪のうち境内斜面に桜や躑躅を植栽した庭園[3]は名園として名を馳せ、「花見寺」と呼ばれ広く江戸市民に親しまれたという。[4]
このような名声もあってか12代将軍・徳川家慶の頃に朱印寺となったが、明治時代末に寺領を整理せざるを得なくなり一時荒廃の一途を辿った。その後、昭和10年(1935年)に本堂・庫裡・書院が建立されるものの、昭和20年(1945年)の東京大空襲により被災焼失。昭和25年(1950年)から昭和35年(1960年)に掛けて3度の改修を経て現在に至る。
現在は谷中七福神の布袋尊が祀られている。なお、この布袋尊像は青雲寺にあったものを移したものである[4]。
交通アクセス
- 西日暮里駅より徒歩5分。
脚注
参考文献
- 高田隆成、荒川史談会 著『荒川区史跡散歩 (東京史跡ガイド18)』学生社、1992年
- 「新堀村 修性院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ18豊島郡ノ10、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/23。
- 宗祖第七百遠忌記念出版『日蓮宗寺院大鑑』/日蓮宗寺院大鑑編集委員会/大本山池上本門寺/昭和56年(1981年)
関連項目
外部リンク
- 運啓山修性院 公式サイト
- 修性院のページへのリンク

 
                             
                    







