信濃成繁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 07:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動信濃 成繁(しなの なりしげ、1898年(明治31年)10月20日[1] - 1948年(昭和23年)5月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
富山県出身[1][2]。1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校第32期卒業[3]。陸軍砲工学校第29期を優等で卒業[2]。東京帝国大学航空学科卒業[2]。
1941年(昭和16年)3月、陸軍大佐に進む[2]。同年10月、陸軍航空技術研究所調査課長を経て、陸軍航空審査部員兼第2陸軍航空技術研究所員となる[2]。1945年(昭和20年)4月、第2陸軍航空技術研究所長に就任したのち、同年6月、陸軍少将に進級した[1][2]。
脚注
参考文献
- 外山操 編 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』 芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著 『日本陸軍将官辞典』 芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
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