佐藤 淳一とは? わかりやすく解説

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佐藤淳一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/04 14:26 UTC 版)

佐藤 淳一
Junichi Sato
プロフィール
リングネーム 佐藤 淳一
本名 佐藤 淳一
誕生日 (1980-12-26) 1980年12月26日(43歳)
出身地 神奈川県横浜市
所属 アイスリボン
デビュー 2000年3月16日
引退 2017年11月
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佐藤 淳一(さとう じゅんいち、1980年12月26日 - )は、プロレスの元レフェリーである。神奈川県横浜市出身。アイスリボンに専属していた。

経歴

学生プロレス出身。当時は松永智充らとトリオを組んで活動していた[1]

1999年IWA・JAPANに入社し、翌年2000年3月16日つくば市大会でレフェリーデビュー。2003年、退社[2]。その後フリーとして 主にDDTガッツワールドと男子インディー団体を中心に活動。

2007年から2010年までガッツワールド専属で活動[3]。退団後は引退を決めていたが、アイスリボンから声をかけられたことで、最後の団体と決めて専属へ[4]

2017年11月をもってレフェリーを引退。アイスリボンにて引退興行が開催され、DVDが発売された。引退理由は一言でいうと「奥さん孝行」のため[5]。メインレフェリーは愛弟子である斉藤一二三へ引き継がれた。

人物

アイスリボンの関係者からは淳一さん、または淳ちゃん、などと呼ばれていて涙もろい性格から「泣き虫レフェリー」とも呼ばれている。Twitterを行っていないが自身の近況などは世羅りさにツイートしてもらいたい文面と画像をメールで送り世羅が「#淳一通信」というハッシュタグをつけてメールの内容を定期的にツイートしている。

男子インディー団体出身で、星野勘九郎大日本プロレス)ら男子レスラーとも親交がある。

かつてはリッキー・フジのファンクラブ会長を務めていた。

脚注

  1. ^ 回復と復活!! - GENTARO日記「乙女の愛の夢」 2014年3月23日
  2. ^ 『IWA・JAPANプロレスを退職。』”. 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”. 2024年11月4日閲覧。
  3. ^ 『6月9日=ロックの日』”. 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”. 2024年11月4日閲覧。
  4. ^ 『アイスリボンラスト道場マッチ』”. 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”. 2024年11月4日閲覧。
  5. ^ http://iceribbon.com/event_detail.php?id=1859

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