佐藤 明子とは? わかりやすく解説

佐藤明子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 10:07 UTC 版)

佐藤 明子(さとう あきこ、1968年11月2日[1] - )は、宮城県仙台市を拠点に活動している日本フリーアナウンサー、元仙台放送アナウンサー[2]。旧姓:岡田[2]

経歴

宮城県仙台市出身[3][4]

1984年の夏、日本テレビ系『第2回全国高等学校クイズ選手権』に宮城県第一女子高等学校(現・宮城県宮城第一高等学校)から出場した。元々別のメンバーが急用で出られなくなり、直前に代役として出場したという[要出典]。しかし、それを感じさせずに[独自研究?]全国大会へ進出し、そのまま勝ち進んで女子チーム初の優勝を果たした。同チームは翌年の第4回大会でも全国大会に進出し、準々決勝まで勝ち進んだ。その際、当時同局のアナウンサーであった福留功男と出会い、放送業界を目指すようになる。

高校を卒業後、1年浪人[4]をして明治大学へ進学する。大学では、学内の落語研究会に所属していた[5][6]。またこの当時、毎日放送の『地球ZIG ZAG』に旅人役で出演していた。フリーアナウンサーの福澤朗とは知り合いで、大学在学中に『高校生クイズ』の第10回と第11回大会で、当時のスタッフと一緒に富士登山をしたことがある。

大学を卒業後、1992年に仙台放送に入社。在籍中、『夕やけTV編集局』や『ほっとチャンネル』などの夕方のバラエティ番組を主に担当した。後に同僚アナウンサーの佐藤拓雄と結婚し、1998年6月に仙台放送を退社した。ちなみに、夫の拓雄もまた『高校生クイズ』に東京都立国立高等学校から出場しており、第3回の関東大会で宮城一女の優勝旗返還を目の当たりにしている。

その後はしばらく主婦業に専念していたが、2002年にDate fmの『AIRJAM』とTBCラジオの『それいけミミゾー』で復帰。2005年からは東北放送の『2時のチャイハネ』に出演し、2007年4月から2009年3月まではDate fmの『Morning Junction Wonder J』水曜・木曜のパーソナリティを務めていたが、第3子出産のため降板。

2009年7月、第2子(長女)の誕生から9年ぶりの子となる第3子(次男)を出産した。2013年1月に東北放送ラジオの『みやぎで生きる~医療復興ものがたり~』で放送に復帰した。2016年3月からはfmいずみの『Daily Cafe』月曜のパーソナリティを務めている。

脚注

  1. ^ 本人Twitterアカウント(下記外部リンク節を参照)のプロフィールに記載あり。2020年5月13日閲覧。
  2. ^ a b 佐藤明子 (2008年4月20日). “「岡田ちゃん!」”. 主婦&フリーアナウンサー 佐藤明子の日記. 2020年5月13日閲覧。
  3. ^ ナビゲーター”. fmいずみ. 2020年5月13日閲覧。
  4. ^ a b 佐藤明子 (2019年1月4日). “平成最後のお正月”. 主婦&フリーアナウンサー 佐藤明子の日記. 2020年5月13日閲覧。
  5. ^ 佐藤明子 (2008年4月3日). “うれしい便り”. 主婦&フリーアナウンサー 佐藤明子の日記. 2020年5月13日閲覧。
  6. ^ 佐藤明子 (2017年9月8日). “愛校心”. 主婦&フリーアナウンサー 佐藤明子の日記. 2020年5月13日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐藤 明子」の関連用語

佐藤 明子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐藤 明子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐藤明子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS