伊木忠興とは? わかりやすく解説

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伊木忠興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/14 03:52 UTC 版)

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伊木忠興夫妻の墓

伊木 忠興(いぎ ただおき、元禄7年8月16日1694年10月4日) - 寛延4年11月23日1752年1月9日))は、岡山藩筆頭家老伊木家6代当主。通称は豊後。主君は池田継政

生涯

忠興は5代伊木忠義と側室吉岡氏との間に長男として岡山城下で生まれた。幼名は長九郎。

享保5年(1720年)、父・忠義の死により家督を相続する。本多家重臣・中根忠豪の娘と婚姻、1男2女をもうける。しかし、長男の忠芳は幼少より病弱であったため廃嫡し、長女・小豊の婿養子として岡山藩家老・池田長喬(周匝池田家)の三男(のちの忠知)を迎え嫡子に据えた。なお、廃嫡となった忠芳は剃髪して悠翁と名乗り、天明5年(1785年)まで存命して59歳で没した。

元文3年(1738年)、藩主・継政より岡山城下に荒手屋敷を下賜される。元文5年(1740年)、知行地の虫明に瀬戸窯を開き茶器を焼かせたという記録もあるが、確証はない。

延享4年(1747年)、隠居して有信斎と名乗り、家老職を婿養子の忠知に譲る。

寛延4年(1751年)11月23日、58歳(数え年)で没する。法名は真諦院殿前豊州光誉円徳理覚大居士。墓所は伊木家長島墓所(岡山県瀬戸内市)。

参考文献

  • 『茶人伊木三猿斎』 桂又三郎/著 奥山書店、1976年
  • 『備前藩筆頭家老伊木氏と虫明』 邑久町郷土史クラブ/編 1996年



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