他の反ファシズム団体との連携
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 04:42 UTC 版)
「反ファシズム知識人監視委員会」の記事における「他の反ファシズム団体との連携」の解説
1934年2月6日の危機を契機として、それまで分裂・対立していた社会党・共産党間、労働組合間の連携を促す役割を担ったのが知識人であり、知識人の団体として大きな影響力をもったのが反ファシズム知識人監視委員会である。1930年代のフランス知識人の反ファシズム団体には、反ファシズム知識人監視委員会、文芸誌『ユーロープ』のほか、革命作家芸術家協会(AEAR)、アムステルダム=プレイエル運動(フランス語版)、反ファシズム・反戦・社会正義のための共同戦線などがあり、反ファシズム知識人監視委員会の指導者らはこれらの組織にも参加し、左派の連携を図った。革命作家芸術家協会は、1927年にモスクワで国際革命作家同盟 (UIER) のフランス支部として1932年3月に設立され、機関誌『コミューン』を刊行。アンリ・バルビュス、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトン、ロマン・ロラン、アンドレ・マルロー、ジャン・カスーなどの多くの作家が参加した。これらの作家は、反戦運動であるアムステルダム=プレイエル運動にも参加している。急進社会党の議員ガストン・ベルジュリ(フランス語版)が提唱した反ファシズム・反戦・社会正義のための共同戦線は、反ファシズム知識人監視委員会、人権連盟と連携し、ポール・ランジュヴァンらが参加した。
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