人道政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 06:53 UTC 版)
「アブデュルメジト1世」の記事における「人道政策」の解説
ロシアのコーカサス侵攻による亡命者、さらには1849年のハンガリー革命の亡命者の引き渡しをロシアとオーストリアにそれぞれ求められたがそれを拒否した。またアブデュルメジトは自身にたいして反乱を企てていた者にたいしても死刑を執行することはなかった。 1845年にイギリス支配下のアイルランドでジャガイモ飢饉が起きたときには1万ポンドの寄付をイギリス政府に申し出た。イギリス政府はヴィクトリア女王の2000ポンドの寄付を上回る寄付に対して1000ポンドに留めるようにと返答した。するとアブデュルメジト1世は1000ポンドの寄付に加え、穀物を満載した3隻の貨物船をアイルランドへ派遣し、アイルランド東部のドロヘダで積み荷を降ろした。 アブデュルメジトは民衆からの声に耳を傾け、タンジマートがどのように行われているのかをよく視察した。1844年にはイズミト、ムダンヤ、ブルサ、ガリポリ、チャナッカレ、レムノム、レスボスを視察し、1846年にはバルカン半島各地を廻った。
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