人形の墓とは? わかりやすく解説

人形の墓

作者森銑三

収載図書森銑三著作集 続編 第16巻 雑纂 4
出版社中央公論社
刊行年月1995.4


人形の墓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 09:43 UTC 版)

人形の墓』(にんぎょうのはか)は小泉八雲の怪奇文学作品で、1897年出版された『仏陀の国の落穂』に所載されている。

物語

小泉八雲の家で住み込みではたらいていた子守娘・イネが私(小泉八雲)に悲しい身の上話をするという形式で書かれている。

イネの家は建具屋をしている父と髪結いの母、印刷屋で奉公をしている兄、祖母と妹の6人家族だった。働き者の両親のおかげで何不自由のない暮らしをしていた。

ある暑い夏、それまで元気だった父がわずか1日床についただけで死んでしまった。そして父が死んだ8日後に母も突然死んでしまった。相次いだ不幸に、近所の人たちは「すぐに人形の墓を作らないといけない」と勧めた。同じ年に一家から2つの葬式を出したら、2つ並んだのそばに3つ目の墓を作り、の中にわら人形を収めて供養をしないと、さらに不幸が続くとされていたのである。だが人形の墓は作られずじまいだった。

母の死の直前に奉公を終えた兄が一家の働き手になった。しかし母の四十七日目、仕事から帰った兄が高熱を発していきなり床についてしまった。四十九日目の朝、熱に浮かされる兄が「お母さんがそこに来ている。袖を引っぱっている」と言い始めた。母のが家を離れる日に、兄までも連れて行こうとしている。祖母は床を荒々しく踏みつけて、「お前が生きている間、私たちはお前をどんなに大切にしたことか! なのになぜ今、この子を連れて行こうとするのか? お前はひどいよ! ひどすぎる!」と、兄を連れて行こうとする母を泣きながら叱りつけた。だが兄はまだ「お母さんが袖を引っぱる」と言っている。夕日の沈む頃、兄は死んだ。

祖母は泣きながら、自分の作った子守歌をイネと妹に歌って聴かせた。

その年の冬、祖母も眠るように死んだ。イネと妹は別々にもらわれていき、家は絶えた。

話を終えたイネが部屋を出て行こうとする時、私(小泉八雲)は万右衛門に尋ねたいことがあるため、まだイネのぬくもりが残る座布団に座ろうとした。それを見たイネは、自分の不幸を八雲が背負い込まないよう、まだぬくもりの残る座布団をたたいた後で座ってほしいと伝える。私はそのまじないをせずに座布団に座り、万右衛門と二人で笑った。万右衛門はイネに「旦那様はお前の不幸を引き受けてくださった。旦那様は他の人の苦労を知りたいと思っておられるのだ。お前は心配しなくてもいいのだよ」と声をかけるのだった。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「人形の墓」の関連用語

人形の墓のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



人形の墓のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの人形の墓 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS