井狩彌左衛門とは? わかりやすく解説

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井狩弥左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 15:10 UTC 版)

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井狩 弥左衛門(いがり[1] / いかり[2] やざえもん、1844年11月27日弘化元年10月18日[3] - 1901年明治34年)5月23日[1][3])は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員。9代井狩弥左衛門[2]

経歴

近江国野洲郡江頭村(北里村を経て、現在の近江八幡市)に生まれる[3]。富豪として桑園や水田を拓き米質改良組合を組織するなど農業発展に尽力する[3]1873年(明治6年)以降、滋賀県野洲郡第五区副区長、同区長、同郡七十八箇村連合村会議員、滋賀県会議員、野洲郡所得税調査委員、滋賀県農工銀行設立委員などを歴任する[1]。近江帆布会社の設立にも尽力した[2]

1897年(明治30年)9月、滋賀県多額納税者として貴族院議員に互選され[1]、同月29日に就任したが[4]、在任中に死去した[5]

栄典

脚注

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  1. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 178頁.
  2. ^ a b c 『滋賀県百科事典』27頁。
  3. ^ a b c d e 滋賀県教育会 1917, 879頁.
  4. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  5. ^ 『官報』第5367号「帝国議会」明治34年5月27日。

参考文献




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