井狩吉雄とは? わかりやすく解説

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井狩吉雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 15:23 UTC 版)

井狩 吉雄
Ikari Yoshio
基本情報
本名 井狩 吉雄
いかり よしお
国籍 日本
生年月日 (1951-05-14) 1951年5月14日(74歳)
選手情報
期別 35期
登録地
1975-2014 日本競輪選手会滋賀支部
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井狩 吉雄(いかり よしお、1951年5月14日 - )は元競輪選手滋賀県近江八幡市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第35期卒業。現役時代は日本競輪選手会滋賀支部所属。師匠は田中広光(21期・引退)。ホームバンクは大津びわこ競輪場

戦績

中学生時代はハンドボール選手として滋賀県民体育大会で優勝、また駅伝ランナーとして、滋賀中学駅伝で2位を経験している。滋賀県立八日市高等学校に進学してから自転車競技を始め[1]中京大学自転車競技部時代は主将を務めた。同大学時代の主な実績として、カナダ・ブリティシュ・コロンビア3日間ロードレース日本人選手総合第1位、全国地域対抗自転車競技選手権大会・ポイントレース優勝などがある[2]

中京大学卒業後は競輪学校に第35期生として入学。在校競走成績及び卒業記念レースはいずれも、松田隆文中野浩一に次いで3位(84勝)だったことから、『35期の三羽烏』の一人と謳われる。1975年5月15日、ホームバンクのびわこでデビューし、初勝利も同日。後2日間も勝利して、デビュー開催で完全優勝を果たした。

1977年全日本新人王戦決勝5着。1996年共同通信社杯競輪まで、断続的ながらも特別競輪(現在のGI並びにGII)に参加していた。

その後は日本学生自転車競技連盟の役員[3]など裏方での仕事の傍ら、競走にも随時参加し、2009年10月6日には奈良競輪場で行われたA級チャレンジ決勝戦を制し、58歳4か月22日にて競輪選手史上最年長優勝を達成する[4][5]2011年5月20日には向日町競輪場においてA級2班格付での還暦出走を達成し、同年11月17日には西村康博の後を受ける形で現役最年長選手となった。その後2012年にA級2班へ復帰し高齢でのA2在位記録更新も果たしている。61歳の年齢で迎えた、2013年2月5日に行われた和歌山2レースで勝利[6]

2013年9月13日(Yahoo!ニュースでは16日と表記されている)に松山競輪場第1Rで落車し、くも膜下出血を発症。その後数ヶ月にわたる長期欠場が続いていたが12月20日に引退することを表明、同24日に引退セレモニーが行われ、2014年1月9日に選手登録を削除し38年間の競走生活に終止符を打った。通算出走3043回、優勝19回、428勝。

主な弟子

  • 三和英樹(日本競輪学校第69期生、ソウルオリンピック出場)
  • 中井修(同校75期生)
  • 中井護(同校74期生)
  • 善利裕生(同校82期生)
  • 齋藤収(同校77期生)
  • 中村考志(同校80期生)
  • 加藤明久(同校80期生)

脚注

外部リンク




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