五百蔵氏とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 五百蔵氏の意味・解説 

五百蔵氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 12:49 UTC 版)

五百蔵氏
種別 武家
出身地 土佐国香美郡韮生郷
著名な人物 五百蔵左馬進
凡例 / Category:日本の氏族

五百蔵氏(いおろいし)は、日本武家の一つ。戦国時代の武家。

出自

伊勢平氏の家系である平正盛[1]及び平忠正[2]の末裔を称しており、忠正が保元の乱に敗れると、その一族が領地であった大和国宇治郡安岡荘に隠れ安岡姓を名乗り、屋島の戦いの後に土佐国安芸郡吉良川に移り吉良川城を居城として付近を領有していたが、その一族の分家が土佐国香美郡韮生谷五百蔵に住み、安岡姓を改めて五百蔵姓を名乗ったという[1]

天文18年(1549年)、長宗我部国親山田氏を攻め滅ぼした際に長宗我部氏の配下に降った[3]

五百蔵筑後守の後を継いだ五百蔵左馬進は、天正14年(1586年)の戸次川の戦いで討死。養子となった五百蔵左馬進 (2代目)も、長宗我部盛親に従ったが、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣にて討死した。長宗我部氏滅亡後は、他国に移り住む者も現れ、兵庫県三木市明石市に集中しているが、読み方は「いおくら」に変わっている[4]

居城

菩提寺

地名との関連

高知県香美市香北町五百蔵
居住していた韮生谷五百蔵にちなんで、五百蔵姓を名乗ったと言われる[1]
兵庫県神戸市西区神出町五百蔵
正徳3年(1713年)、美嚢郡吉田村に住む五百蔵孫六勝成が、明石郡藩主松平直明雄岡山下の新田開発を行う願書を明石郡代奉行を通じて提出し、その開発によりできた集落と言われる[7]

脚注

  1. ^ a b c 「五百蔵」の名字の由来”. 2017年11月15日閲覧。[信頼性要検証]
  2. ^ 桓武平氏概観”. 2017年3月28日閲覧。
  3. ^ a b 五百蔵筑後守”. 2017年3月28日閲覧。[信頼性要検証]
  4. ^ 丸善出版編『47都道府県ご当地文化大百科』丸善出版株式会社、令和6年10月30日、p.28、47.
  5. ^ 寺石 1942, p.76-77
  6. ^ 香美史探訪記 第32回 五百蔵山田氏と報恩寺阿弥陀堂(香北町五百蔵)” (PDF). 香美市. 2017年3月28日閲覧。
  7. ^ 勝成大年神社”. 兵庫県神社庁. 2017年3月28日閲覧。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「五百蔵氏」の関連用語

五百蔵氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



五百蔵氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの五百蔵氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS