五百蔵左馬進 (2代目)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 五百蔵左馬進 (2代目)の意味・解説 

五百蔵左馬進 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/05 16:47 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
五百蔵左馬進
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 慶長20年5月6日1615年6月2日
別名 桑名藤次郎
主君 長宗我部盛親
父母 父:桑名親光
五百蔵左馬進
桑名古庵

五百蔵 左馬進(いおろい さまのしん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長宗我部氏の家臣。

桑名親光の次男で、初代五百蔵左馬進戸次川の戦いで討死した後、左馬進の娘を娶り義父と同じ名を名乗った[1]。子に、土佐の医師桑名古庵がいる[2][3]

慶長5年9月15日関ヶ原の戦いに参加。西軍が敗れると主君長宗我部盛親に従い大坂に退却した。その後浅野家の家臣浅野良重を頼って紀伊田辺に隠棲していたが、大坂の陣の際に盛親を慕って入城した[3][4]慶長20年5月6日八尾の戦いで、盛親の馬前で討死した[1]

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b 寺石 1942, p.76-77
  2. ^ 文化財情報 史跡 桑名古庵墓”. 高知市. 2017年3月20日閲覧。
  3. ^ a b 寺石 1942, p.25
  4. ^ 五百蔵左馬進の紹介”. 2017年3月30日閲覧。[信頼性要検証]

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

五百蔵左馬進 (2代目)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



五百蔵左馬進 (2代目)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの五百蔵左馬進 (2代目) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS