二子宿とは? わかりやすく解説

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二子宿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 15:18 UTC 版)

二子宿(2006年5月撮影)
二子宿
二子宿の位置
大山道(主要8道)。

二子宿(ふたごしゅく)は、武蔵国橘樹郡二子村(現在の神奈川県川崎市高津区二子)にあった矢倉沢往還大山道)の宿場継立場)の一つ。1669年寛文9年)に、隣接する溝口村とともに継立村に指定され、毎月1日から20日までは溝口村が、21日から月末までは二子村が伝馬の継立を担当した。1681年延宝9年)に久地村、諏訪河原村、久本村、末長村の4ヶ村が助郷村となった[1]。二子村は多摩川の右岸に位置し、かつては二子の渡しで多摩川を渡った[2]。上宿・中宿・下宿に分かれて軒を並べ、大水による川止めの時に泊まれる民家があった[3]

名所・旧跡

二子宿

交通アクセス

隣の宿場

江戸赤坂) - 二子宿溝口宿 - 荏田宿[3][8]

ギャラリー

出典

  1. ^ 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年、319頁。 
  2. ^ 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年、327-328頁。 
  3. ^ a b c 鈴村茂「相模国矢倉沢往還」『県央史談第11号 県内旧街道史』1975年、50-52頁。 
  4. ^ a b 『訪ねて楽しい大山街道』川崎市大山街道ふるさと館、2012年、18頁。 
  5. ^ 『高津郷土資料集 第12篇 写真で読む今昔・矢倉沢往還』川崎市立高津図書館、1990年、6頁。 
  6. ^ 川崎市教育委員会『川崎市民俗文化財緊急調査報告書 第三集 二子・溝口 宿場の民俗』川崎市教育委員会、1984年、87頁。 
  7. ^ 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年、324-325頁。 
  8. ^ 村上直 編『近世神奈川の研究』1975年、305頁。 

参考文献

  • 『訪ねて楽しい大山街道』川崎市大山街道ふるさと館、2012年。 
  • 川崎市役所『川崎市史 通史編 2 近世』川崎市、1995年。 

関連項目

座標: 北緯35度36分21秒 東経139度37分7秒 / 北緯35.60583度 東経139.61861度 / 35.60583; 139.61861



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