二代目 赤松義村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/18 16:56 UTC 版)
政則に子はあったが、政則自身は赤松氏でも傍流の出身だったので有力一門の七条家から迎えた養子の赤松義村が二代目城主となった。義村の後見には守護代として浦上村宗が就いた。しかし、村宗は守護代の地位を利用して実権を握り、それに反発した義村を戦いの末屈服させ、大永元年(1521年)には幽閉し、暗殺した。
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