久平橋事件と争議の結末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 09:49 UTC 版)
「木崎村小作争議」の記事における「久平橋事件と争議の結末」の解説
1926年7月25日、無産農民学校の上棟式を終えた組合員たちは、午後6時から松ヶ崎浜村で開催される講演会に参加するため行進を始めた。一行が濁川村の久平橋付近にさしかかったとき、警戒中の警官隊と衝突し、三宅正一ら組合幹部が検挙された。 この「久平橋事件」によって、有力な指導者を失った組合側は、路線対立などで分裂していった。長らく続いた法廷闘争も、1930年7月29日に東京控訴院において、小作人が未納小作料の全額を償還するということで和解が成立した。
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