丹生川村立国見小学校とは? わかりやすく解説

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丹生川村立国見小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/13 01:11 UTC 版)

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丹生川村立国見小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 丹生川村
設立年月日 1901年[注釈 1]
閉校年月日 1976年
共学・別学 男女共学
所在地 506-2103
岐阜県高山市丹生川町折敷地1484[注釈 2]
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丹生川村立国見小学校 (にゅうかわそんりつ くにみしょうがっこう)は、かつて岐阜県大野郡丹生川村(現・高山市)に存在した公立小学校

概要

  • 丹生川村呂瀬(現・高山市丹生川町折敷地の北西部)の小学校であった。1976年、三之瀬小学校折敷地小学校と統合。荒城小学校の新設により廃校。
  • 校名は呂瀬地区の北にある国見山[注釈 3]に由来する。
  • 1950年から1970年まで国見中学校を併設し、国見小中学校とも称した。
  • 跡地は呂瀬金山地区多目的集会所などになっている。

沿革

  • 1901年(明治34年)4月1日 - 呂瀬地区に折敷地尋常小学校呂瀬分校を設置する。同時に三之瀬尋常小学校金山分教場を統合する。民家を仮校舎とする。丹生川村の呂瀬地区と上宝村の蓑谷地区[注釈 4]
  • 1902年(明治35年)4月 - 新築移転。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 丹生川尋常高等小学校第七分教場となる。尋常科1~6年の児童が通学する。
  • 1910年(明治43年)4月 - 農業補習学校第七分教場を併設する。
  • 1926年(大正15年)7月 - 青年訓練所を併設する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 丹生川国民学校第七分教場となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 丹生川村立丹生川小学校国見分校に改称する。
  • 1949年(昭和24年)
    • 4月1日 - 丹生川小学校から独立し、丹生川村立国見小学校となる。
    •  4月23日 - 独立祝賀式を行う。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 丹生川村立国見中学校が開校する。国見小学校は国見中学校との併設校となる。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 上宝村の蓑谷地区の児童の委託を解消。蓑谷地区の児童は上宝村立本郷小学校へ通学する。
  • 1970年(昭和45年)3月 - 国見中学校が統合により廃校。国見小学校は単独校となる。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 統合により廃校。

脚注

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  1. ^ 丹生川村立国見小学校としての独立は1949年。
  2. ^ 現在の住所表記
  3. ^ 高山市丹生川町折敷地、高山市上宝町在家、高山市上宝町鼠餅の境にある、標高1318mの山。
  4. ^ 現在の高山市上宝村鼠餅の南部。沢上谷(高原川支流)の上流部の集落。

参考文献

  • 丹生川村史 全 (大野郡丹生川村史編纂委員会 1962年) P.673 - 676
  • 丹生川村史 通史編2 (丹生川村史編集委員会 1998年) P.829 - 865

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