中野撤夫
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中野 撤夫(なかの てつお、1902年9月3日 - 1978年4月21日)は、日本の経営者。長野県松本市出身[1]。
経歴
1928年にイギリスのピットマンズ・カレッジ(Pitman's College)を卒業し、1932年9月に安宅産業に入社[1]。1940年12月にオリンパス光学工業に転じ、1945年6月に取締役、同年12月に常務、1955年1月に専務を経て、1961年12月には社長に就任[1]。1968年6月に会長を経て、1970年12月から相談役を務めた[1]。
1968年3月に藍綬褒章を受章し、1973年11月に勲三等旭日中綬章を受章[1]。
1978年4月21日急性腹膜炎のために死去[2]。75歳没。
脚注
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第28版 下』人事興信所、1975年。
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