中村光隆とは? わかりやすく解説

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中村光隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 05:35 UTC 版)

 
中村光隆
時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 待賢門院非蔵人光隆、藤原光隆
官位 従五位下待賢門院非蔵人
氏族 藤原北家山蔭流中村氏
父母 父:中村家周
兄弟 光隆、頼保、慶祐、智源、伊佐重宗
源為義の娘
伊達朝宗、業盛
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中村 光隆(なかむら みつたか、生没年不詳)は、平安時代官人。幼名、亀若丸。光孝。藤原光隆。藤原北家魚名流、中村氏従五位下[1]・大舎人[2]中村家周の子。官位従五位下[1]待賢門院非蔵人[2]。室は源為義の娘。

概要

光隆の室は源為義の娘にして源義朝と兄弟関係にあり、光隆の息子朝宗はその由縁にて源頼朝の御家人になったとされる。息子朝宗の「朝」の字は朝宗の叔父にあたる源義朝または源頼朝から受けたと謂れ、光隆の孫にあたる伊佐為宗の「為」の字も為義に由来するものと考えられている。諸説はあるが何れにせよ光隆の孫にあたる大進局源頼朝の側室にて貞暁の母[注釈 1]として知られており光隆の頃より代々源氏との関りが深くなっていったことを示している。

系譜

脚注

参考史料

参考文献

  • 伊達氏誕生 松浦丹次郎(土龍舎、1982年)

出典

注釈

  1. ^ 吾妻鏡・東鑑「2月26日条」甲戌、二品(頼朝)の若君(貞暁)誕生、御母は、常陸介藤時長の女なり、御産所は、長門江七景遠の濱の宅なり、件の女房殿中に祗候するの間、日來御密通有り、縡(こと)露顕するに依りて、御臺所(政子)御厭ひ思すこと甚し、仍つて御産の間の儀、毎時省略すと伝々」との条項有り。
  2. ^ 中村氏側史料では朝宗の子・宗村、伊達氏側史料では朝宗とされる。また『伊達氏と中村八幡宮』では、伊達氏の始祖が宗村では『尊卑分脈』の藤原朝宗に系図を繋げられないため、中村常陸入道念西を朝宗としたのではないかとの説を掲げている。

関連項目




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