中御門宗雅
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中御門宗雅(なかのみかど むねまさ、建保5年(1217年) - 文永6年(1269年)1月28日)は、鎌倉時代前期の公卿。初名は中御門宗基。
官歴
- 文暦元年(1234年):従五位下、侍従
- 嘉禎2年(1236年):従五位上
- 嘉禎3年(1237年):正五位下
- 暦仁元年(1238年):蔵人
- 建長3年(1251年):右少弁
- 建長4年(1252年):左少弁
- 建長6年(1254年):右中弁、左宮城使、従四位上
- 建長7年(1255年):紀伊権守、正四位下
- 正嘉元年(1257年):右大弁
- 文応元年(1260年):備後権守
- 弘長元年(1261年):右近衛中将、蔵人頭
- 弘長2年(1262年):従三位、左大弁、造東大寺長官
- 文永2年(1265年):参議、美作権守
- 文永4年(1267年):正三位
- 文永6年(1269年):出家のため致仕
系譜
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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