中原とほる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 20:23 UTC 版)
中原 とほる | |
---|---|
生誕 | 1942年5月30日(83歳) 日本・山口県 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1981年 - |
ジャンル | 少年漫画 青年漫画 |
受賞 | ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞 松本大洋賞(『野球で話せ』) |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日[1] - )は日本の漫画家、医師。
経歴
山口県出身[2]。父は社会科教師[3]。中原は双子として生まれたが、双子の弟は生後半年で腸閉塞により死去[4]。弟も漫画家になりたかったようでもし自分もなるならペンネームは中原とほるにすると決めていた[4]。
1966-1967年のときに『COM』に初めて漫画『かえるになった次郎』を投稿、選外だったが講評のちばてつやから構図のユニークさや台詞回しの良さが挙げられていた[5]。当初、大学の教育学部で学んでいたが嫌になり、計10年かけて1971年、岡山大学医学部卒業[4][6][7]。四国の病院で働きだして間もない頃、漫画賞に応募するようになって10年、5回目にして1981年、39歳のときに『点とり虫のサンバ』がちばてつや賞佳作を受賞、特選ではなく佳作なことには残念だったが、これで漫画家を目指すようになる[1][4][5]。
愛媛県で整形外科医をしていたときに、1988年開始の『スーパードクターK』に原案協力として関わる[8]。
1993-1994年に『ドクトル・ノンべ』をモーニング、イブニング、月刊アフタヌーンで不定期連載[1][5]。
2024年、以上の経歴がある上で『野球で話せ』が新人漫画賞「ビッグコミック&ビッグコミックオリジナル 第11回青年漫画賞」の松本大洋賞を81歳で受賞[1][9]。
医師としては住友別子病院整形外科医長や岡山赤十字玉野病院嘱託医[5][6]。
漫画作品
連載
- 『ドクトル・ノンべ』(1993-1994年、全2巻)
読み切り
- 『鯨の夢』(1986年、コミックモーニング)
- 『野球で話せ』(2024年、ビッグコミックオリジナル)
脚注
- ^ a b c d 南信長 (2024年9月10日). “「81歳で新人漫画賞」を受賞した漫画家の正体”. 東洋経済オンライン: p. 2 2025年8月22日閲覧。
- ^ “データベース『えひめの記憶』”. 愛媛県生涯学習センター (n.d.). 2025年8月22日閲覧。
- ^ “そうだ漫画で歴史を描いてみよう” (n.d.). 2025年8月22日閲覧。
- ^ a b c d 文藝春秋編『信長ぎらい 巻頭随筆 6』p.139 文春文庫 1994年
- ^ a b c d “これまでの作品” (n.d.). 2025年8月22日閲覧。
- ^ a b 中原とほる『タバコってな~に?』第4版 p.76 愛媛県医師会 2022年
- ^ 新居浜市医師会報 430号 p.7398 1994年6月1日
- ^ “真船一雄が歴代編集者とトークショー、「K2」開始の裏話やブームの影響も明かす”. コミックナタリー. (2024年2月12日) 2025年8月22日閲覧。
- ^ 南信長 (2024年9月10日). “「81歳で新人漫画賞」を受賞した漫画家の正体”. 東洋経済オンライン: p. 1 2025年8月22日閲覧。
外部リンク
- 中原とほるのページへのリンク