両記録への指摘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 20:14 UTC 版)
『方便品読不之問答記録』『日仙日代問答記録』への指摘は次のとおり。 建武の改元は、元弘4年(正慶3年)の正月29日に行われており、建武元年正月7日は存在しない日付である。即ち、「元弘4年(正慶3年)正月7日」とすべきところを、『方便品読不之問答記録』『日仙日代問答記録』ともに、「建武元年正月7日」としている。 日仙が「日興示寂以後、代々の申し状に『方便品が迹門である間は読むべからず』と書かれている」と主張した、と『日仙日代問答記録』にあるが、この仙代問答は日興示寂の翌年にあった出来事である。 『日仙日代問答記録』に日代が重須を追放されたことが書かれていることから、本記録は重須離山後の執筆である。
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