与謝野の離党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 15:02 UTC 版)
2010年12月に菅直人らから連立政権参加の打診を受けたが、党内でそれに賛成したのは共同代表である与謝野馨のみであった。党内で孤立した与謝野は、2011年1月13日に離党届を提出、受理された。直後に無所属として菅第2次改造内閣の内閣府特命担当大臣(経済財政政策、男女共同参画、少子化対策)兼社会保障・税一体改革担当大臣として入閣した。この与謝野の判断に対して園田博之は、民主党政権打倒を掲げて「たちあがれ日本」をつくったときの立党精神を置き忘れてしまったのではないかと批判した。
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