下元鹿之助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 下元鹿之助の意味・解説 

下元鹿之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/28 14:22 UTC 版)

下元鹿之助

下元 鹿之助(しももと しかのすけ、1875年明治8年)8月26日[1] - 1947年昭和22年)10月22日[1][2])は、大正から昭和時代前期の政治家実業家衆議院議員(3期)。

経歴

下元興行、桃の三男として、高知県高岡郡東又村窪川町を経て、現在の四万十町)に生まれる[1]。20歳まで家業手伝いののち高知県立農林学校を経て、東京蚕糸学校で養蚕技術を学ぶ[1]。卒業後は母校の県立農林学校で教諭を3年間務めたのち県庁に出仕し、高知県技師として蚕業の発展に尽力する[1]。のち大分県技師、1914年(大正3年)東又村長、翌年高知県会議員(3期当選、副議長などを歴任)を経て、1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では高知県第4区から出馬し当選[1]。以来3期に渡り当選し、立憲民政党高知支部長を務めた[1]。ほか、鴨田村会議員、高岡郡教育会長などを務めた[2]

実業界でも活躍し、高知製糸支配人、片倉製糸高知所長、土佐セメント常務取締役、司牡丹酒造取締役、高知瓦斯監査役、四国水電社長[1]、高知県蚕糸同業組合長、佐越製糸取締役などを務めた[2]1937年(昭和12年)には土佐電気製鋼を創立し、初代社長に就任した[1]

親族

脚注

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  下元鹿之助のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「下元鹿之助」の関連用語

下元鹿之助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



下元鹿之助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの下元鹿之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS