上街道および中街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 23:40 UTC 版)
慶長13年以降、本街道として用いられた下街道が、若松城下から上高野、笈川、塩川を経由して熊倉宿に至っていたのに対して、先述のように上街道、中街道が別に存在していた。中街道は、下街道の東側を若松城下から藤室、代田、常世を経由して熊倉宿に至っており、上街道は中街道の東側を若松城下から荒久田、金道、常世を経由して熊倉宿に至っていた。若松城下および周辺でも経路が異なり、上街道が街道の起点となる大町の四つ角付近より北に向かい、石堂および荒久田を経由して北へ向かっていたのに対し、中街道、下街道は四つ角付近より七日町などを経由して、藤室に至り、北へ向かっていた。
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