三島公園 (愛媛県)とは? わかりやすく解説

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三島公園 (愛媛県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/07 14:54 UTC 版)

三島公園
展望台からの景色(四国八十八景)
分類 都市公園
所在地
座標 北緯33度58分18秒 東経133度33分33秒 / 北緯33.97167度 東経133.55917度 / 33.97167; 133.55917座標: 北緯33度58分18秒 東経133度33分33秒 / 北緯33.97167度 東経133.55917度 / 33.97167; 133.55917
面積 83,127 m2[1]
開園 1969年
運営者 四国中央市役所都市計画課
事務所 三島公園管理事務所
事務所所在地 愛媛県四国中央市中曽根町53-1
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三島公園(みしまこうえん)は、愛媛県四国中央市中曽根町にある公園桃山公園(ももやまこうえん)とも呼ばれる。四国八十八景66番に当公園からの工場群と瀬戸内海の眺望が選ばれている。ツツジ、桜、藤、広い芝生が自慢である。

概要

四国中央市役所の南約2 km丘陵地にある市民公園で、海抜140 m、8.3ヘクタールに及ぶ敷地に、遊戯広場、ピクニック広場、遊歩道、展望台、売店、駐車場などがあり1969年昭和44年)完成。展望台からは、四国中央市街や瀬戸内海が見渡せる。展望台付近には、瀬戸内海の素晴らしい景色を詠んだ一茶「しずけしや春を三島の帆かけ舟」が、伍健「考えを直せばふっと出る笑い」の句碑・川柳碑が建立されている[2]

横地山古墳箱式石棺

横地山古墳

当公園で一番高い所にある。 1957年(昭和32年)4月に発見され、翌年1月に発掘された。墳丘には直径約7.5 m、高さ1 mの封土があり、周りには河原石を並べて周縁部を形成しており、この封土の中に2基の箱式石棺が並列して構築されていた。東側の1号石棺は長さ1.6 m42 cm深さ24 cm、西側の2号石棺は長さ2 m50 cm深さ24 cm。弥生時代後期と推定。1962年(昭和37年)4月1日市史跡指定[3]

イベント

4月第1日曜日には、桜まつりが開催され、多くの人出で賑わう。

アクセス

松山自動車道三島川之江ICから車で約10分。

付近の観光スポット

脚注

  1. ^ 都市計画課管理公園の一覧表(ペット可の公園など)”. www.city.shikokuchuo.ehime.jp. 2023年7月6日閲覧。
  2. ^ 現地看板より
  3. ^ 四国中央市の文化財 「横地山古墳箱式石棺」”. bunka.shikokuchuo.or.jp. 2023年7月6日閲覧。

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