三人衆の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/09 06:33 UTC 版)
佐々成政は天正8年(1580年)、神保長住を助成して越中国を平定し、翌年には越中半国を与えられ、さらにその翌年には長住が失脚して越中を一国支配することとなった。前田利家も加賀国や能登国の平定戦に従事した後、天正9年(1581年)に能登一国支配を任された(ただし、この時信長によって召し上げられた府中の所領は改めて利家嫡男の前田利長に与えられ、賤ヶ岳の戦い後に加賀国松任城に移されるまで支配している)。不破光治は天正8年(1580年)に死去した(異説あり)。これらにより、府中三人衆としての活動は実質的に終了した。
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