七内光忠(光定)の家系(旗本)
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「戸田氏」の記事における「七内光忠(光定)の家系(旗本)」の解説
七内光忠(光定)の子・光定と忠重は家康に仕えて旗本となった。光定系は次代の政重のとき長子・政次が400石(のち1500石)、次子・政勝(貞政)も400石で別家し、330石余で孫の政信(政次の子)が継いだ。ただし政信の孫の代で断絶した。また政勝(貞政)系も天保5年(1834年)に当主・邦政が中間に殺害され絶家となった。政次系を芦敷戸田家という。 光忠(光定) ┣━━━┓ 光定 忠重(重成) ┃ ┃ 政重 重吉 ┏━━━━━━━━━━━┳━━━━━━| | 政次 政勝(貞政) 政信 重秀 ┏━━╋━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ 政信 政倚 政道 吉政 光高 正矩 | | ┃ ┃ | 政峯 政英 政勝 政弘 正方 ┣━━┓ | ┃ ┃ 政甫 政友 政泰 政春 正唯 | ┣━━┓ | ┃ 政友 政珍 政苗 政弘 方節 | | | ┃ 光稟 政苗 政利 正為 ┃ | | 光紹 政演 邦政 ┃ | 光新 政方 ┃ ┃ 七内 三之丞 ┃ 千万次郎
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