七代目・文吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 09:28 UTC 版)
明治36年(1903年)7月6日、六代目文吉の次男淳夫が七代目文吉となった(七代目はこの時まだ幼かったため、しばらくは六代目の弟・九郎太が後見人となって支えた)。明治41年(1908年)には所有地が1,384.7町歩 (1,385ha) となった。大正7年(1918年)に慶應義塾大学を卒業した。アメリカ合衆国のペンシルベニア大学に留学して大正14年(1925年)に帰国し、この年に東京京橋の商家米沢家の娘竹子と結婚する。財団法人北方文化博物館の初代館長。
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