一時は廃寺に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 07:49 UTC 版)
「松吟寺 (常陸大宮市)」の記事における「一時は廃寺に」の解説
天保の火災から8年後の天保14年(1843年)には、水戸藩の廃仏毀釈の措置により廃寺・無住となる。その間、水戸藩主徳川頼房公が御参拝になられ鐘楼を寄進されている。しかし、その鐘楼も戦時中の「金属供出」により失われた。
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