松吟寺 (常陸大宮市)とは? わかりやすく解説

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松吟寺 (常陸大宮市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/25 08:38 UTC 版)

松吟寺
本堂及び客殿
所在地 茨城県常陸大宮市下町207
位置 北緯36度33分06.8秒 東経140度25分01.4秒 / 北緯36.551889度 東経140.417056度 / 36.551889; 140.417056座標: 北緯36度33分06.8秒 東経140度25分01.4秒 / 北緯36.551889度 東経140.417056度 / 36.551889; 140.417056
山号 稲荷山
宗旨 禅宗臨済宗
宗派 臨済宗東福寺派
寺格 大本山東福寺直末
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 1276年
開山 円爾
開基 佐竹義胤
中興年 1952年
中興 晦宗
正式名 稻荷山松吟禪寺
文化財 稲荷山松吟寺山門(常陸大宮市指定有形文化財[1]
公式サイト 稲荷山松吟寺
法人番号 2050005008494
松吟寺
松吟寺 (茨城県)
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松吟寺(しょうぎんじ)は、茨城県常陸大宮市下町にある臨済宗東福寺派の寺院である。山号は稲荷山

概要

臨済宗東福寺派大本山東福寺の直末(総本山直属の末寺)として、建治2年(1276年)に常陸国守護の佐竹義胤開基、聖一国師こと円爾開山として開創された古刹である。山門は、元禄5年(1692年)に建てられた「木端葺唐風屋根四足門」で、常陸大宮市指定有形文化財に指定されており[1]、天保6年(1835年)の火災でも焼失を免れた。 

交通

文化財

山門(文化財)

天保の火災

天保6年(1835年10月26日)の火災により大半を消失したが現山門、本尊、守護神体は消失を免れた。

一時は廃寺に

天保の火災から8年後の天保14年(1843年)には、水戸藩の廃仏毀釈の措置により廃寺・無住となる。その間、水戸藩主の徳川頼房が参拝し、鐘楼を寄進している。しかし、その鐘楼も戦時中の「金属供出」により失われた。

廃寺からの復興

大本山・東福寺派第299世管長の晦宗恵鏡を中興開山とし、1952年(昭和27年)に本堂を再建、本山より「別格寺」の寺班を授けられ復興を遂げた。

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c 文化スポーツ課 文化振興グループ (2017年8月31日). “常陸大宮市文化財マップ”. 常陸大宮市. 2025年8月23日閲覧。



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