一心行の大桜とは? わかりやすく解説

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一心行の大桜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/18 19:24 UTC 版)

一心行の大桜
一心行の大桜
一心行の大桜

一心行の大桜(いっしんぎょうのおおざくら)は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある、の名木である。

概要

品種はヤマザクラで、樹齢は400年以上、樹高14m・幹周囲7.35m・枝張は東西に21.3m・南北に26mにもなる[1]。これは、九州では、樹齢600年、樹高23mの福岡県田川郡福智町の虎尾桜[2]などと並ぶ大きさである[1]。 かつてこの地を治めた武将、中村(峯)伯耆守惟冬(ほうきのかみこれふゆ)が眠る墓地内の菩提樹になっている[1]

1999年にテレビ朝日ニュースステーション」の夜桜中継で放送されたことをきっかけに観光客が増え[3]、毎年約20万人の観光客が訪れる[1]。南阿蘇村では、2002年から一心行の大桜周辺の公園化を進めており、花公園、パークゴルフ場、駐車場等が整備されている[3]

歴史

戦国時代、現在の南阿蘇村は峯村(みねむら)と呼ばれていた。この地に築城された鶴翼城(かくよくじょう)に住み、熊本県の三角にある矢崎城の城代を兼任していた伯耆守惟冬は、1580年天正8年)に薩摩島津氏との戦いで、矢崎城で戦火に散った[1](阿蘇合戦を参照)。

その妻子は主の死後少数の家臣とひそかに故郷の峯村に戻り、戦いに散った城主と家臣たちの御霊を弔うために桜の苗木を植え、一心に行をおさめたというところから「一心行」の名がついたとされる[1]

昭和初期の落雷により幹が6本に裂けたため、ドーム型に広がる美しい形となった。現在は、2004年平成16年)の台風16号及び18号の影響で4本の主幹のうち2本が折れ、ドーム型ではなくM字型となっている[3][1]。台風などによる傷、空洞や腐食菌による被害が出ており、「くまもと緑の財団」により養生が行われている[1]

現在、惟冬の直系の子孫が墓地と共にこの大桜を所有している[1]

脚注

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