一味同心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/11 08:29 UTC 版)
一味同心は中世日本において、共同意思によって成り立つ「一味」が連帯し、互いに責任を負った上で意思表示や行動を行うことを指す。呉座勇一によれば、一味同心は一揆と同じ意味で用いられ、一人の問題を全体の問題として扱う運命共同体的な団結が「一味」であり、「一同」であったとされる。[1]
一味同心の事例
文明17年(1485年)。室町幕府の将軍足利義尚との対面をめぐって奉公衆と奉行衆が対立し、双方がそれぞれ一味同心し争った。その過程で、奉行衆のリーダー格であった布施英基が奉公衆側に殺害される事件が起こっている。[3]
一味同心の語を否定的な意味で用いた例として、織田信長の事例が指摘されている。永禄十二年(1569年)、信長は撰銭令を発し、同年3月16日の京都上京等宛精選追加条々に「銭定違反の輩あらば、其の一町切りに成敗足るべき、その相届けずば、残る惣町一味同心に申し付くべし」として「一味同心」を処罰対象としている。[4]
一味神水との関係
中世において、神聖な水を神前で共飲することによって、集団としての誓約を結ぶ儀式があり、これを一味神水という。一味神水という儀式を通じて集団の結束が確認される一方、「一味同心」は集団内の意思一致を示す語としても用いられた。[5]
文覚四十五箇条起請文
一味同心という思想のルーツを辿る試みとして、仏教教理の「一味和合」が注目されたことがある。
平安時代末期の僧である文覚が元暦二年(1185年)、神護寺の僧侶たちが守るべき規範として定めた「文覚四十五箇条起請文」の中で「一味同心」と「一味和合」の双方の語が見られる。呉座勇一は、「一味和合」と「一味同心」は似て非なるものとし、前者が仏教教理に基づくのに対し、後者については仏教思想との直接的な関連を否定している。[1]
脚注
参考文献
- 一揆の原理 (ちくま学芸文庫) 呉座勇一 (著)
- 広辞苑 第六版 (普通版)
- 「共食」の社会史(藤原書店) 原田 信男 (著)
- 長野県立歴史館 研究紀要(長野県立歴史館)
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