ロビンソン・サパタとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロビンソン・サパタの意味・解説 

ロビンソン・サパタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 07:09 UTC 版)

ロビンソン・サパタ
名前
本名 Róbinson Zapata Montaño
ラテン文字 Róbinson Zapata
基本情報
国籍  コロンビア
生年月日 (1978-09-30) 1978年9月30日(45歳)
出身地 バジェ・デル・カウカ県フロリダ
身長 180cm
選手情報
在籍チーム インデペンディエンテ・サンタフェ
ポジション GK
背番号 1
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 アメリカ 62 (0)
2000-2002 カルタヘナ 83 (7)
2003-2004 アメリカ 33 (0)
2004-2005 ロサリオ 1 (0)
2005 インデペンディエンテ 0 (0)
2005-2006 ベルグラーノ 25 (0)
2006-2007 ククタ 44 (0)
2007-2011 S. ブカレスト 85 (0)
2011 ガラタサライ 10 (0)
2011-2012 ペレイラ 18 (0)
2012-2013 イタグイ 43 (0)
2013-2014 ミジョナリオス 11 (0)
2014- サンタフェ 79 (1)
代表歴2
コロンビア U21 13 (0)
2007-2016 コロンビア 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年3月9日現在。
2. 2016年6月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロビンソン・サパタ・モンターニョRóbinson Zapata Montaño1978年9月30日 - )は、コロンビアバジェ・デル・カウカ県フロリダ出身のプロサッカー選手。元コロンビア代表インデペンディエンテ・サンタフェ所属。ポジションは、ゴールキーパー

経歴

クラブ

アメリカ・デ・カリでプロデビュー。その後はコロンビア国内やアルゼンチンのクラブでキャリアを積んだ。

2007年7月、ククタ・デポルティーボからFCステアウア・ブカレストに50万ユーロで移籍[1]。加入から半年後にはリーグで最もその才能を評価された選手になった[2]。2シーズン目にはミスの目立ったチプリアン・タタルシャヌからポジションを奪った。しかし2010–11シーズンからヴィクトル・ピツルカ監督が就任すると、構想から外れベンチ生活を余儀なくされた。その後、ピツルカからイリエ・ドゥミトレスクに監督が交代すると再びレギュラーに抜擢された。2010年12月、クラブとの契約を満了し退団。

2011年1月、ガラタサライと単年契約を結んだ[3][4]。しかし13試合で無失点が僅か2回と凡庸なプレーに終始し、6月に契約を解除した[5]

ガラタサライ退団後はコロンビアに帰国しプレーを続けている。

代表歴

コパ・アメリカ2007のアメリカ合衆国戦に出場したが、累積警告のため86分に退場処分を受けた。

タイトル

クラブ

アメリカ・デ・カリ
ククタ・デポルティーボ
  • カテゴリア・プリメーラA (1): 2006
サンタフェ

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロビンソン・サパタ」の関連用語

ロビンソン・サパタのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロビンソン・サパタのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロビンソン・サパタ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS