ロヘリオ・ドミンゲスとは? わかりやすく解説

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ロヘリオ・ドミンゲス

(ロジェリオ・ドミンゲス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/17 01:02 UTC 版)

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はドミンゲス第二姓(母方の)はロペスです。
ロヘリオ・ドミンゲス
名前
本名 ロヘリオ・アントニオ・ドミンゲス・ロペス
Rogelio Antonio Domínguez López
ラテン文字 Rogelio DOMÍNGUEZ
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1931-03-09) 1931年3月9日
出身地 ブエノスアイレス
没年月日 (2004-07-23) 2004年7月23日(満73歳没)
身長 183cm
選手情報
ポジション GK
代表歴
1951-1963 アルゼンチン 58 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ロヘリオ・アントニオ・ドミンゲス・ロペス(Rogelio Antonio Domínguez López, 1931年3月9日 - 2004年7月23日)は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー

経歴

1946年CAリーベル・プレートのユースに加入し、1948年ラシン・クラブでデビュー。1951年からは10年以上にわたりアルゼンチン代表としてプレーした。1956年レアル・マドリードへと移籍。レアル・マドリードではキャプテンであったフアン・アロンソを押しのけてUEFAチャンピオンズカップの決勝に2度(1959年1960年)出場した。しかし、5シーズンの在籍期間において2桁出場は2シーズンのみにとどまった[1]。1956年、1957年と2年連続でアメリカ大陸の最優秀GKに選ばれ、1957年には南米選手権も勝ち取った。

1962年にユース時代を過ごしたCAリーベル・プレートへと戻った。その後も南米のクラブを転々とし、1969年CRフラメンゴで引退。引退後は指導者として、現役時代に所属したラシン・クラブなどのクラブチームを率いた。

2004年7月23日心筋梗塞のため死去。

所属クラブ

指導歴

脚注

  1. ^ 『GREATEST TEAM』、ワールドサッカーマガジンベースボール・マガジン社、Vol.148 2007年1月18日号

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