ロシア皇帝暗殺をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「ロシア皇帝暗殺をめぐって」の解説
1881年3月にロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺された。バーティはその葬儀への出席を希望した。また新皇帝アレクサンドル3世にガーター勲章を与える使節団の団長になることも希望した。女王もアルフレッドの舅であるロシア皇帝が殺害されたことに衝撃を受けていたので、これを了承した。第2次グラッドストン内閣外相グランヴィル伯爵も支持したのでバーティの訪露が決まった。 3月24日にサンクト・ペテルブルクに到着したバーティは葬儀に出席した後の3月28日にアレクサンドル3世にガーター勲章を授与した。君主が死んだあと、ただちに次の君主にガーター勲章が授与されるというのはよほどイギリス王室と親しい関係にある場合のみであり(ベルギー王室など)、これはバーティの治世における英露の親密な関係の前兆だった。
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