ロシア帝国軍参謀本部とは? わかりやすく解説

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ロシア帝国軍参謀本部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 07:36 UTC 版)

ロシア帝国軍参謀本部(ロシアていこくぐんさんぼうほんぶ、ロシア語: Главный штаб)とは、ロシア帝国軍の軍令機関。

歴史

1812年1月27日、参謀本部の前身である監察部: Инспекторский департамент)が設置され、軍の人事・充足、兵籍登録、宿営、検閲を担当した。

1865年12月31日、監察部と参謀本部総局の統合により参謀本部が設置され、軍の統制、動員、人事・充足、機構、勤務、配置、戦闘訓練等を管掌した。参謀本部は、当初、部隊機構班、隊列班、部隊経営班、将校官等兵員班、下級官等兵員班、叙勲班の6班から成った。その外、軍事測量課、兵籍登録委員会、並びにアジア班、船舶班、一般文書班、軍事印刷所が存在し、参謀本部の下にニコライ参謀本部アカデミーロシア語版英語版等の教育機関も開校された。

その後、数度の機構の変化を経て、1903年の時点で、参謀本部は、第1補給総監局、第2補給総監局、当直将官局、軍事報道局、軍事測量局から成った。1905年参謀本部総局創設の際、第2補給総監局(動員課を除く)、軍事報道局、軍事測量局が総局に移管された。1910年、部隊機構・宿営・勤務補給総監班、「Военный сборник」誌と「Русский инвалид」紙編集部が総局に移管され、コサック課が参謀本部に入った。

第一次世界大戦勃発と共に、軍の損害に関する情報収集、戦傷者や戦死者の家族への年金保障等の部署が設置された。1918年5月、参謀本部は廃止された。

機構

1911年当時の機構。

  • 当直将官課
  • 年金課
  • コサック課
  • アジア班
  • 管理班(1914年から行政課)
  • 経済委員会
  • 特別官房 - 軍事大臣宛の請願選別
  • 兵站護送班

歴代参謀総長

1866年以降のみ。階級は就任時のもの。

関連項目

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