ロシア帝国軍参謀本部総局とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロシア帝国軍参謀本部総局の意味・解説 

ロシア帝国軍参謀本部総局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 21:17 UTC 版)

ロシア帝国軍参謀本部総局(ロシアていこくぐんさんぼうほんぶそうきょく、ロシア語: Главное управление Генерального штаба、略称ロシア語: ГУГШ)とは、ロシア帝国軍参謀本部の事務機関。参謀本部の機能の内、主として情報、兵站機能を管掌した。

歴史

1832年~1865年

1832年5月1日、参謀本部局ロシア語: Управление Генерального штаба)と軍事測量団ロシア語: Корпус военных топографов)が統合される。1863年9月27日、参謀本部総局に改編され、部隊の宿営、移動、戦闘訓練及び勤務、軍事行動の際の準備措置の計画、軍事展望の作成、写真撮影及び事前偵察、文書の収集及び戦史・戦略・戦術に関する科学論文の準備等を管掌した。1865年、参謀本部総局は廃止された。

1901年~1918年

1905年6月21日、再び参謀本部総局が編成された。この際、参謀本部からは、第2補給総監局(動員課を除く)、軍事報道局、軍事測量局、第1補給総監局第3班が移管された。

1918年3月8日、参謀本部総局は廃止された。

機構

1913年現在の機構。

  • 補給総監課
    • 要塞委員会
  • 部隊機構・勤務課
  • 動員課
  • 軍事報道課
  • 軍事測量課

軍事情報機関

ロシア帝国軍の軍事情報機能は、参謀本部総局の補給総監課ロシア語: Отдел генерал-квартирмейстера)が遂行した。以下は、1910年現在の機構。

最後の総局長ニコライ・ポタポフソビエト政権に協力的であったため、この補給総監課は、1918年5月に至るまで軍事情報機能を遂行し続け、その要員は、後の労農赤軍情報局の基盤となった。

歴代総局長

1905年以降のみ。階級は就任時のもの。

  • フョードル・パリツィン中将(1905年6月21日 - 1908年11月13日):
  • ウラジーミル・スホムリノフ騎兵大将(1908年12月2日 - 1909年3月11日):
  • アレクサンドル・ムィシュラエフスキー中将(1909年3月14日 - 9月19日):
  • エフゲニー・ゲルングロス(1909年9月 - 1911年2月):
  • ヤコフ・ジリンスキー騎兵大将(1911年2月22日 - 1914年3月5日):
  • ニコライ・ヤヌシュケヴィッチ中将(1914年3月5日 - 8月2日):
  • 代行ミハイル・ベリャエフ中将(1914年8月2日 - 1916年8月10日):
  • ピョートル・アヴェリヤノフ中将(1916年8月10日 - 1917年9月5日):
  • 代行ゲオルギー・ロマノフスキー(1917年9月5日 - 9月26日):
  • 代行ウラジーミル・マルシェフスキー少将(1917年9月26日 - ):
  • 代行ニコライ・ポタポフ(1917年11月 - 1918年5月):

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロシア帝国軍参謀本部総局」の関連用語

ロシア帝国軍参謀本部総局のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロシア帝国軍参謀本部総局のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロシア帝国軍参謀本部総局 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS