ルイ・アルマン1世_(コンティ公)とは? わかりやすく解説

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ルイ・アルマン1世 (コンティ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/23 07:52 UTC 版)

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ルイ・アルマン1世・ド・ブルボン=コンティ
Louis Armand Ier de Bourbon-Conti
第2代コンティ公
在位 1666年 - 1685年

出生 (1661-04-04) 1661年4月4日
フランス王国パリ
死去 (1685-11-09) 1685年11月9日(24歳没)
フランス王国フォンテーヌブロー宮殿
配偶者 マリー・アンヌ・ド・ブルボン
家名 ブルボン=コンティ家
父親 コンティ公アルマン
母親 アンヌ・マリー・マルティノッジ
宗教 キリスト教カトリック
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ルイ・アルマン1世・ド・ブルボン=コンティフランス語: Louis Armand Ier de Bourbon-Conti, prince de La Roche-sur-Yon, 2e prince de Conti1661年4月4日 - 1685年11月9日)は、フランスの貴族。第2代コンティ公

生涯

初代コンティ公アルマンと妻アンヌ・マリー・マルティノッジの長男として、パリで生まれた。1680年、マリー・アンヌ・ド・ブルボンルイ14世と愛妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールの子)と結婚した。妻とは不仲で子供はなかった。

ルイ・アルマンは1683年にフランドルで軍人として目覚ましい活躍を見せ、王になりたいという自身の望みからハンガリーへ生き、第二次ウィーン包囲への反攻でオスマン帝国軍を打ち破るのに荷担した。1685年、妻マリー・アンヌから天然痘が感染して急死した。公位は弟フランソワ・ルイが継承した。

参考文献

先代:
アルマン
コンティ公
1666年 - 1685年
次代:
フランソワ・ルイ



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