ルイス・ソウサ・フェレイラとは? わかりやすく解説

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ルイス・ソウサ・フェレイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 23:20 UTC 版)

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ルイス・ソウサ・フェレイラ
名前
本名 ルイス・デ・ソウサ・フェレイラ
Luis Alfonso de Souza Ferreira Huby
ラテン文字 Luis Alfonso de Souza
基本情報
国籍 ペルー
生年月日 1908年10月6日
出身地 リマ
没年月日 (2008-09-29) 2008年9月29日(99歳没)
身長 178cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1926-1934 U・デポルテス 180 (157)
代表歴
1929-1934 ペルー 2 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルイス・ソウサ・フェレイラLuis Alfonso de Souza Ferreira Huby1908年10月6日 - 2008年9月29日)は、ペルーリマ出身のサッカー選手ペルー代表草創期の名選手。

経歴

1908年10月6日にリマで誕生した。1926年に18歳で、地元リマの名門チームウニベルシタリオ・デポルテスに入団。瞬く間に頭角を現し、1929年1934年と2回のプリメーラ・ディビシオン制覇に貢献した。1934年の引退までデポルテスを離れる事のなかったフランチャイズ・プレイヤーでもあり、在籍8年間でリーグ戦180試合に出場し、157得点を記録した。

ペルー代表には1929年に初招集された。翌1930年FIFAワールドカップ第1回大会にも出場し、グループリーグ3・初戦のルーマニア戦(エスタディオ・ポシトス〈モンテビデオ〉)で、0-1で迎えた後半30分に同点ゴールを決めた(試合自体はその後ルーマニアに追加点を奪われ、1-3で敗戦)。これはペルー代表のFIFAワールドカップにおける初得点でもあった。次の1934年イタリアW杯予選のメンバーにも選ばれたが、チームはイタリアへの旅程が遠い事に途中棄権[1]し、本大会出場は潰えた。代表通算では2試合出場、先の1930年W杯での得点が唯一の代表で挙げた得点である。

引退後も長寿を保ち、100歳の誕生日を7日後に迎えた、2008年9月29日にラ・プンタで99歳359日の大往生を遂げた。1930年W杯に出場したペルー代表選手において、最後の存命者だった。また、生没年月日が判明しているペルー代表選手では最長寿記録である[2]

タイトル

ウニベルシタリオ・デポルテス

脚注

  1. ^ この大会の予選では、同じような理由(旅程の遠さや財政面での理由)で他にギリシャトルコチリが予選にエントリーしながら途中棄権している。
  2. ^ フェレイラの死後、同じく1930年W杯に参加した、フランシスコ・バラージョアルゼンチン)が1930年W杯出場選手中における最後の存命者となった。バラージョはナショナルチームに選ばれ、国際Aマッチに参加した世界中の全選手(生没年月日が判明している選手のみ)史上初めて、100歳の誕生日を迎え、2010年8月30日に100歳206日で大往生を遂げた。これが2015年現在における、世界中の各国代表経験選手の最長寿記録となっている。

出典




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