ルイスへの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 14:43 UTC 版)
「デイヴィド・ルイス」の記事における「ルイスへの批判」の解説
この理論は、数多の批判にさらされた。特に、他の世界がどのようであるか、ということを我々はいかにして知ることができるのかが不明だという点である。なにしろ、他の世界は我々の世界から因果的に独立なのだから、そこでなにがどうなっているか覗き込んでみることはできないのである。また、人々は、事情が変わったら自分達がどうなっていただろうかということに関心があるのであって、どんなに自分達に似ていようとも誰か他の人が他の世界でどうなっていようが関心はない、という批判もある。ソール・クリプキは「大統領候補は、誰か他の人が他の世界で当選したかどうかではなく、候補者自身が当選したかどうかに関心があるのである」。さらに、ルイスのように多くのものを存在論に持ち込むことは、(事実を説明するために必要な範囲を超えてなにか理論的なものを増やすことを戒める)オッカムの剃刀に抵触する、という批判がある。ルイスは『世界の複数性について』(1986)で、これらの批判に答えた。 可能世界に関する他の議論は、ロバート・スタルネイカー(Robert Stalnaker, Inquiry, 1984)、ソール・クリプキ(Saul Kripke, "Naming and Necesity",1980)ギデオン・ローゼン(Gideon Rosen, "Modal Fictionalism", 1990)などがある。
※この「ルイスへの批判」の解説は、「デイヴィド・ルイス」の解説の一部です。
「ルイスへの批判」を含む「デイヴィド・ルイス」の記事については、「デイヴィド・ルイス」の概要を参照ください。
- ルイスへの批判のページへのリンク