リュクシアナとは? わかりやすく解説

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リュクシアナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/30 14:32 UTC 版)

Lucciana
行政
フランス
地域圏 (Région) コルシカ島
(département) オート=コルス県
(arrondissement) バスティア郡
小郡 (canton) ボルゴ小郡
INSEEコード 2B148
郵便番号 20290
市長任期 ジョゼフ・ガレッティ(Joseph Galletti)
2020年 - 2026年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de Marana-Golo[1]
人口動態
人口 5136人
2014年
人口密度 176人/km2
住民の呼称 Luccianais
地理
座標 北緯42度32分48秒 東経9度25分05秒 / 北緯42.5466666667度 東経9.41805555556度 / 42.5466666667; 9.41805555556座標: 北緯42度32分48秒 東経9度25分05秒 / 北緯42.5466666667度 東経9.41805555556度 / 42.5466666667; 9.41805555556
標高 平均:250m
最低:0m
最高:687 m
面積 km2
Lucciana
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リュクシアナLucciana (コルシカ語発音: [lutˈtʃaːna], イタリア語: [lutˈtʃaːna], フランス語: [lutʃ(j)ana]))は、フランスコルシカ島オート=コルス県都市

地理

リュクシアナの位置

コルス島東部沿岸に位置し、バスティアの都市圏の20km南に位置する。

コミューンは、島北東部のデサ・デ・モン(deçà des monts、コルス語でCismonte)または『コルスの結晶片岩』と呼ばれる地帯に位置する。ここはカップ・コルスの鎖状の山地または尾根とされる部分で、サン・ペドローヌ山およびカルダーヌ峰によってゴロ川の水隙の南に続く。山は山頂から西に伸びており、隣接するコミューンのヴィニャールとの境界となり、東のティレニア海に面する堆積地帯のマラナ潟(ビグリア潟、fr)へ向かう。

リュクシアナの海に向けた正面玄関は、北のマラナ潟から南のゴロ河口までである。ゴロ川はコミューン南部の境界となっている。川は海に注ぐまでに幾度も蛇行する。

リュクシアナは道路交通と鉄道の重要な地である。コルシカ鉄道のリュクシアナ駅とカザモッザ駅がある。

都市の外観

リュクシアナの村は、ラゴラジャ山の北側ふもとにある岩の頂上にある。この岩の標高は526mである。15世紀にマラリアが頻発し、地中海に面したこの地域での不安定さが増大したため、マリアナ出身の世帯が村を作った。ケルシターナ地区には、現在、サン・フランソワ修道院の遺構が残る。

歴史

古代、マリアナ(fr)は紀元前93年にガイウス・マリウスによってコルスに設置されたローマの主要植民地であった。マリアナは、ローマ植民地の主都アレリアに依存していた(アレリアの最初の建設者はフェニキア人である)。5世紀にキリスト教の古いマリアナ司教座が設置され、聖座と直接つながった。マリアナは1092年にピサ共和国に、その後1130年にジェノヴァ共和国に併合された。1269年から1570年まで、マリアナ司教の力は衰えた。1570年以降、リュクシアナはバスティア司教座に含まれている。

『ラ・カノニカ』(La Canonica)と呼ばれるサンタ・マリア・アスンタ聖堂は11世紀に建設された。サラセン人によって建物は解体されたため、大司教ピエロ・ディ・ピサは聖堂を1119年に奉献した。1886年にコルスを訪れた後のプロスペル・メリメが、聖堂を歴史的記念物とした。2003年にはモナコ大公レーニエ3世が神聖なる奉仕を捧げ、リュクシアナ出身の現代画家・彫刻家であるマリー・クロード・セイ・ドミニシによるブロンズの大きなキリスト像が奉納された。

言い伝えによると、リュクシアナの村はアレリアの建設者ガイウス・マリウスとルキウス・スッラの間の競争で生まれたとされる。ルキウス・スッラはマリアナの登場をうらやましく思い、リュクシアナと呼ばれる新たな植民地をつくったのだという。

1863年、カトリック聖職者ガレッティは、エトルリア人とローマ人に帰属するいくつかの痕跡が見つかったと、論文の中でふれている。彼は村の近くで古代の浴場があったことに言及し、さらには現代の道が開かれたときにも見つかっている。

2017年、フィリップ・シャポン率いる国立考古学研究所のチームが、ミトラ教信仰に捧げられた聖域である最古のミトラエウム(mithræum)を、コルスで特定した[2]

人口統計

人口推移
人口 ±% p.a.
1968 1,653 —    
1975 2,507 +6.13%
1982 2,692 +1.02%
1990 3,217 +2.25%
1999 3,794 +1.85%
2007 4,010 +0.69%
2012 4,883 +4.02%
2017 5,780 +3.43%
Source: INSEE[3]

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[4]、2006年以降INSEE[5][6]

史跡

脚注




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