ライカ・コンタックス論争とは? わかりやすく解説

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ライカ・コンタックス論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/24 05:25 UTC 版)

ライカ・コンタックス論争(ライカ・コンタックスろんそう)(または火の粉論争[1][注釈 1])とは、 1932年エルンスト・ライツが距離計連動型のライカIIを、ツァイス・イコンが長基線長距離計連動型のコンタックスIを出したことがきっかけとなって起こり、1935年から1936年頃にピークを迎えた[2]両者の製品比較論争である[3]


  1. ^ ただし、この「火の粉論争」なる呼称は、字数制限のためにこのように表記した可能性がある。
  2. ^ 『クラシックカメラ専科No.50、ライカブック'99』が「アサヒカメラ」1935年5月号[3]としているのは誤りである。
  3. ^ この匿名氏は佐和九郎だと思われる[5]が、確たる證據はなく、数名の人物によって書かれたものである可能性も捨てきれない。
  4. ^ [6]。なお、“R.R.R”氏なる匿名氏の正体は不詳である。
  5. ^ 他に「スーパー・ネツテル」、「ペツギー」、「レチナ」も挙げられているが、これらはほんの「触り」程度の扱いである。
  6. ^ 鈴木八郎は「かなりの独断と偏見があったように思う」としている[7]
  7. ^ 1933年刊行の『正則寫眞術』に於いても“『ライカ寫眞器』が刻苦數年の努力により、その特徴が認められると、ペッギイ、コンタックス、……等々のライカ型の寫眞器が續々と産れました。然し、現在の處、元祖のライカを凌駕するものは産れて居りません[9]”などと同様の事を記している。
  8. ^ ただ、コンタックスで撮った写真にはデータが附されているのに、ライカには一切附されていないと言う差別化が図られてはいる。
  9. ^ 佐和九郎は1935年刊行の『撮影の實際』において、コンタックスに関して“ライカの成功を羨望して産れたと看做してよい、同型式の寫眞器 [注釈 7]……[10]”とも、“普通一般の用途に對しては、『ライカに出来ることなら、コンタックスでも出来ます。コンタックスで出来ることなら、ライカでも出来ます。ライカならではとかコンタックスでなるが故に、……などといふ言葉をウカウカ使ふことが出来ないほど、兩者は、極めて接近したものであります。[11]”とも書いている。またこの本ではライカで撮影した写真をコンタックスで撮った写真よりも多く掲載[注釈 8]し、内部機構などの図解すら載せている[12]。そして1937年刊行の『小型カメラ寫眞術』では。ライカに対しては好意的コンタックスに対しては否定的な評価を下している一文“連續撮影の速度は。コンタックスのII型と比較してもライカが優る。その比は10:12くらゐであろう。然し、ライカには『連續撮影装置』があり、これを使えば斷然迅くなる[13]”があり、他方ライカだけでなく、コンタックスに対しても否定的な評価を下している一文“コンタックスやライカの如き精密小型カメラでも、その附属フアインダーには、やはり幾多の缺點があり、これのみを頼つたのでは、振りの場合が多く、エキストラのフアインダーの幾つかを備へておかなくては、その優秀な機能を充分に發揮させることが不可能である[14]”がある。また“(『ライカ』と『コンタックス』)この兩者には、それぞれ特徴があり、長所があり、短所がある。槪括的にいづれが優ると判斷を下だせない。判斷を下だせるものではないのである[15]”とも書いている。『アサヒカメラ』の記事を書いた“K.K.K”なる匿名氏が佐和九郎本人(もしくは中心人物)であるとするならば、それと相矛盾する態度である事になる。それだけでなく著作によって「ライカ」及び「コンタックス」に対する姿勢が日和見になっているとの譏りを免れえない。
  10. ^ 佐和九郎を“先生”と呼んでいたアマチュア写真家の田頭良助は、1937年に発刊した著書のなかにおいて、“ライカとコンタックスを相當愼重に比較研究して來た。その結果、私の希望、私の目的にもつとも適してゐるものと認めて、コンタックスを採用した。しかし、これは決してライカよりコンタックスの方が優秀であるといふことを意味してはゐない。ライカも亦コンタックスに得られない特性をもってゐる。もつと公平にいへばそれぞれ一得一失を持つてゐるので……”[16]と書いており、同じコンタックス・シンパでもかなり中立的な見方をしている。
  11. ^ 同じ1936年3月に浅沼商会が「最新型コンタックスの進歩したる点」[18]なるコンタックス擁護の論陣を張った小冊子を発行している。
  12. ^ 日本においてライカの評価がまだ定まていなかった頃、つまり日本に於いてかなり初期からライカを使って撮影をし、日本で初めて書名に“ライカ”を附した著書「私のライカ」(1933年刊行)がある吉川速男や「月刊ライカ」の主幹だった堀江宏は何故かこの小冊子には寄稿していない。
  13. ^ 例えば『コンタックスは全金属幕シャッターと言いながら、その実布紐引きである』など
  14. ^ ただし、この著書ではライカの扱いが抑も悪く、項目が立てられている所でも扱き下ろしが主で、しかもライカのレンズは取り上げられておらず、口絵にもライカのカメラが挙げられていないなどかなり偏った内容になっている。
  15. ^ ライカIIIc、IIIf向けに“ライカピストル”に代わって作られた“ライカビット”の事
  16. ^ エルンスト・ライツの日本総代理店である「シュミット商会」ですら“ライカIV型”に関しては知らなかったのだから、市井の佐和九郎が事の次第を存じなくとも止むを得ないとも言える。だが、当時エルンスト・ライツが新型の自動露出計の特許を取得し、これを装備した新型を出すのではないかとの取り沙汰があったのも事実[22]で、とすれば佐和九郎が全くの善意であったとはいえなくなる。
  17. ^ ここに挙げられている4項目に就いてはライカM3でその他の缺點などと共に改められている。M3は戦前にはすでに着想されており、1935年~36年(正に“ライカ・コンタックス論争”がピークを迎えていたその時)には試作品が造られていた。それはライカIV型とされるものであるが、試作のみで実際に製造されることはなかった[21]。試作品のみでその事実が公開されていなかったのだから、佐和九郎がその事実を知り得なかったであろう事は容易に想像できる[注釈 16]が、結果としてこの“4項目の改善要望”は全くの的外れに終わった事になる。
  18. ^ 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』では、この文節をその次に挙げられている“使う側からの4項目の改善要望”の前置きとしている[20]が、その4項目[注釈 17]
    『A…裏蓋が開くこと。
    B…距離計とファインダーを単一窓にすること。
    C…カメラ上部のゴチャツキを整理して、外観を単純化させること。
    D…シャッター速度を単一調節式にすること。
    などは、改めてもらいたい(原文ママ)[23]
    はあくまでエルンスト・ライツに対して言っているのであり、この文節と結びつけるのには無理がある。
  19. ^ 最初のコンタックスが非常に扱いづらく、それがライカと差ができてしまった要因の一つである事や、チャージ後にシャッタースピードを変えると言う誰しもが普通に撮っていて遣りがちなことで壊れてしまう欠点がある事には目を背けており、公平な評価を下しているとはいえない
  20. ^ 1954年4月3日にエルンスト・ライツは、レンジファインダー機の最高傑作とされ、日本のカメラメーカーが一眼レフにシフトチェンジするきっかけとなった、“ライカM3”をフォトキナで発表しているが、これは『カメラとレンズ』の刊行の2か月足らず後のことである。
  1. ^ a b c 安藤嘉信 『クラシックカメラ博物館 pp.149』日本カメラ社、2003年。 
  2. ^ a b 『カメラレビュー クラシックカメラ専科No.19 LEICA BOOK(ライカ・ブック) '92 pp.118-119』朝日ソノラマ、1991年。 
  3. ^ a b c d 『カメラレビュー クラシックカメラ専科No.50 ライカ・ブック'99 ライカのメカニズム pp.131』朝日ソノラマ、1999年。 
  4. ^ a b c 中川一夫 『復刻版 ライカの歴史 pp.37-38』写真工業出版社、1994年。 
  5. ^ a b c 『カメラレビュー クラシックカメラ専科No.2 名機105の使い方 pp.12』朝日ソノラマ、1977年。 
  6. ^ 『アサヒカメラ2005年5月号特別付録 -あのライカvsコンタックス論争をここに復刻!』p.4-9(p.226-231)
  7. ^ 『クラシックカメラ専科No.2 名機105の使い方』p.82
  8. ^ カメラの触感 - "ライカとコンタックスとどちらがよいか?"”. 2017年4月25日閲覧。
  9. ^ 『正則寫眞術』p.94。
  10. ^ 『アルス最新寫眞大講座3 撮影の實際』p.147。
  11. ^ 『アルス最新寫眞大講座3 撮影の實際』p.147-148。
  12. ^ 『アルス最新寫眞大講座3 撮影の實際』p.143-145。
  13. ^ 『アマチュア寫眞講座9 小型カメラ寫眞術』p.221。
  14. ^ 『アマチュア寫眞講座9 小型カメラ寫眞術』p.162。
  15. ^ 『アマチュア寫眞講座9 小型カメラ寫眞術』p.219。
  16. ^ 『カメラの使い方全集4 コンタックスの使ひ方』p.9-10。
  17. ^ The Classi Camera - "降り懸かる火の粉は拂はねばならぬ -ライカ VS コンタックス論争-"”. 2017年4月12日閲覧。
  18. ^ ARCHIV ZEISS/EXAKTA - "研究論文 「戦前から戦中期に於ける日本の高級35ミリ精密カメラ開発の過程 pp.3 [昭和初期の日本の写真業界と「ライカ・コンタックス論争」"]”. 2017年4月30日閲覧。
  19. ^ a b c d e f g 佐和九郎 『佐和写真技術講座2 カメラとレンズ pp.168-170』アルス、1954年。 
  20. ^ 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』p.26。
  21. ^ 『復刻版 ライカの歴史』p.188-189。
  22. ^ 『月刊ライカ THE LEICA MONTHLY 1934年10月号』p.120-121。
  23. ^ 『佐和写真技術講座2 カメラとレンズ』p.170。
  24. ^ a b c d e 佐和九郎 『佐和写真技術講座2 カメラとレンズ pp.303-305』アルス、1954年。 


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